8/16 松本 銀河鉄道の夜

お疲れ様です。よみうり国営昭和記念公園ちびっ子マラソン大会では毎年表彰台に乗ってました、松本です。S&Bではないです。(前、前々回のブログ読んでね)


私も小学生の頃に小さい規模ではあったかもしれませんが、色々なマラソン大会に出させてもらっていました。「1km走ったら10分ゲームしていいよ」という英才(?)教育のもと、私の陸上人生が始まりました。陸上を始めたきっかけを聞いてみると、みんなどこか似たようなスタートなんですね。遠く知らない所で育った知らない人達が、実は同じような時期に同じように走り始めていて、巡り巡って今大学で一緒に練習しているんだなぁと思うとなんだか嬉しいというか感慨深いというか、時や空間を超えて想いを馳せてしまいますね。


夜に書いているせいでおセンチな空気になってしまいました。今日の反省に参ります。


今日は帰省シーズンもあって全体的に寂しい感じでした。帰省している人たちに向けてお伝えすると、中距離だけで全体の過半数に達するようなまさかの全体集合率でした。私は(300+300+200)×3を50walk+50jogでつなぐ800メニューをやりました。男子は大体このメニューでしたが、女子は今日4人しかいなかったのに全員別のことしてました。女は強いですね。1人で追い込むのはなかなか苦しくスピードに乗り切れない感じはありましたが、なんとか800m2'24ペースを守り切れたので◎。少しずつ体力もスピードも戻ってきましたかね。もう一息積んで秋口に涼しさブーストも貰ってPBに持っていきます。


話は変わりますが、私死ぬまでにやることリストをもっているんですけど、その一つ「鈍行旅」がこの夏叶います。旅と言いつつ各駅で下車などはせず移動がメインになりますが、丸一日14時間かけて仙台から名古屋まで電車に揺られる予定です。馬鹿だ愚かだという声が色々なところ(特に実家)から聞こえてきますが、知らない土地を電車で移動してるときってすごくワクワクしませんか。


きっかけは去年の27大で水戸から仙台に鈍行で帰ったときですかね。全く知らない風景だけどそこで暮らしてる人達がちゃんと存在してて、この人達はこの区間内を乗り降りしてるんだ、っていうことになんとも言えない感動を覚えたんですよね。自分が知覚していない世界がほんとに動いてる、みたいな。なんか冒頭のくだりみたいになってきましたね。


子どもの頃、「もしかしたら自我を持っている人間はこの世で自分だけかも」「自分が知覚してない世界は読み込まれてないかもしれない」、みたいに考えたことあるの、きっと私だけじゃないと思います。真実はこれまでもこれからも知ることはないのでどこかで区切りをつけなきゃですが、やっぱりどう考えても私という人間のシステムだけでも相当な情報量抱えてるのに、ほんとに私以外のすべての人間も同等の膨大な情報を保持して動いてて、さらには私が認識している前方180度以外の世界も全てリアルタイムで更新され続けてきているんだとしたら、地球の処理負荷やべ〜〜〜って思いませんか。


鈍行での移動でなんとも表現しがたい感動を覚えたのは、未観測だった領域の解像度の高さを受け入れざるを得なかったからでしょうか。知覚の外界の存在を素直に認めて、あまりにもよく出来すぎている世の中に圧倒されたんですかね。


去年人生で初めて飛行機に乗ったとき、感動のあまり搭乗中涙が止まりませんでした。ティッシュのやり場に困ってたらCAさんに泣いてるのバレました。感情のハイライトとしては①「空!!飛んでる!!!」②「こんな景色実在していいの」③「いや世界広、」をぐるぐるしている感じでしたが、このときの③も鈍行の件と同様で、世界の広さというか安く言えばまだ見ぬ世界みたいなものの膨大さを痛感させられたとき、私は心を揺さぶられる傾向にあるんでしょうか。


ともかく、鈍行旅が短絡的な発想であることに変わりはありませんし否定もしませんが、死ぬまでにやりたいくらいには楽しみです。1番の障壁は何よりも朝起きれるかですけどね。


タイトル回収をしていませんでした。最近また銀杏BOYZに戻ってきて、中でも「銀河鉄道の夜」を病的にリピートするあまり、宮沢賢治の14編を集めた短編集『新編 銀河鉄道の夜』を購入しました。旅のお供に連れて行こうと思います。賢治の話をするのかと思った方、ご期待に添えずごめんなさい。(もし少しでも興味を持ってくれた方、銀杏も良いですがゴイステ時代の銀河鉄道を推していますので是非)


なんだかダラダラと心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくってしまいました。最後までやかましいですね。深夜に書いたせいです。寝ます。

東北大学学友会陸上競技部 中距離パート