3/22 長井 引退ブログ①

お疲れ様です、医学科6年の長井です。

引退ブログという形で、記事を書く機会を頂きました。

私が本格的に競技を行なっていたのは1/17(土)の27大駅伝まででしょうか。ただ、本格的に競技を行えていたのは10/12(日)の東北学生個人が最後の瞬間だと言えそうです。

さて、終わりというのは遠くにいそうで、それが来てはじめて実感できるものだと思います。昔の話にはなりますが、小学生の頃は体感時間が長すぎて6年生になって卒業式が来るとは思えませんでした。中学生の頃は電車に乗って毎日通学している高校生の姿が想像できなかったし、高校生の頃は親から離れて生活している大学生の姿が想像できませんでした。ですが、今となってはいずれも「そんな考えもしてたな」と思い出す程度です。

自分の生活から陸上競技が消えることや、大学を卒業することも、今は自分の中で大きな出来事だと感じていますが、これらも「そんなこともあったな」となるのでしょうか。残念ながら、なっていくのだと思います。もう既に、日常的に腕時計をつける習慣は無くなりました。

大学で出会った人の中に、事あるたびにみんなで写真を撮る人がいました。私は普段から写真を撮ることは無いので、そういった行為が不自然だし面倒だと思っていました。理由を尋ねてみると、「カメラロールを振り返って、"そういえばこの人たちと遊んだ時があったな"と思い出を振り返れるから」という答えが返ってきました。それを受けて、思い出を何かしらの形に残すことの重要性を理解しました。「そんなこともあったな」で終わらせない1つの答えを知りました。


私の陸上競技生活がここまで続いた背景にはいつも同期の存在がありました。

中学生の頃、2年生まではそこまで目立っていなかった(とはいっても私よりはかなり速い)同期が全中に行きました。それまで同じレベルで練習していたにも関わらず、1シーズン跨いだあとには手の届かないところにいました。受験勉強を言い訳にして彼の全中の応援に行かなかったことは今でも後悔しています。

中長距離の引退試合となる市駅伝(自分らの年は県まで行けました)では、同期の中で自分だけがメンバーとして出場できませんでした。理由は競技力だけではなく、受験勉強との板挟みになっており、どちらも上手くこなすことができなそうだったからです。

3年の夏休みが終わり、ある日の朝練で、顧問の先生に「これ以上受験勉強と部活動を両立する余力は無いし、自分の競技力ではこれ以上試合に出られる機会が無いから部活を辞めたい」的なことを言いました。今思えば、かなり独断的な判断でした。顧問の先生には、「メンバーだけが全てではなく、一緒に練習している人がいてはじめてチームになる」という正論を言われ、ある程度は続けました。

しかし、市駅伝の1ヶ月ほど前にある市総体で短距離が引退したあとは、急激に練習に対するモチベが無くなり、その後、市駅伝前にみんなの知らないところで引退しました。事実上の退部だったと思います。


高校生の頃、当たり前のように県や南関東に行く同期を横目に、私は試合のメンバーにすら選ばれていませんでした。それと同時に、中学時代から陸上を共にしてきた同期の多くが、高校でも競技を継続していましたが、部員不足など環境に恵まれず、不本意ながら競技を去る者が多くいました。直接的には表現にはなりますが、非進学校の場合は学校の特性上、放課後はアルバイトなどの私生活に時間を割く学生が多く、部活動に関しては環境的な制約が少なからず存在していたと感じています。

このように、進学先によって、環境の埋めがたい差を目の当たりにしてきました。翻って自分は、恵まれた環境に身を置きながら、何ひとつ結果を出すことができず、ただ停滞の時間を過ごしていました。

私の高校では、持ち回りでノートに練習日誌を書くのですが、引退した部員はそのノートにメッセージを残すという習慣がありました。ある方のメッセージに、「陸上競技、とくに中長距離は、才能など先天的に決まることが他のスポーツより少なく、努力である程度補える」という記述があったことを記憶しています。それを読んで正気かと思いました。あ、このブログは見られているかもしれませんね。努力をしていないのか、していたとしたら努力をした上で真剣に努力するセンスがなかったのか、そんなどうでもいいことを考えていました。いずれにしろ、競技力の低さが故に才能やセンスといった類いの言葉にはより一層敏感でした。

高校でも駅伝メンバーとして出走する機会はありませんでした。無理やり部活に所属する形で取り組んでいた3年生では、メンバーにこそ選ばれていましたが、台風による土砂崩れでコースが復旧するめどが立たず、結果的には競技場のトラックで駅伝の区間の距離分を走ることとなってしまいました。それまで6年間一度もたすきを繋いだことのない自分にとってはさすがに堪えました。ネガティブな気持ちを外に出したり走りに出したりするのは違うなとは思っていましたが、多分出ていました。すみません。

このように大学入学前までの6年間は、あまりにも窓際な競技生活を行っていました。が、当時の自分からしても、辞める選択肢などありませんでした。ただ、続けるモチベーションは、既に「楽しいから」といった純粋なものではなく、「かけた時間に対する見返りが得られていないから」というサンクスコスト的な側面が大きくなっていました。


大学では入学とほぼ同時に新型コロナウイルス感染症が流行し、その勢いが衰えることのないまま、数年の月日が流れていきました。私自身の競技力が大学陸上に通用するレベルではないという気後れもありましたが、そもそもコロナ禍で活動実態すら不透明な状況が続いていました。そのため、学友会へ入る決断を下せないままタイミングを逸してしまい、結果として3年もの月日が経過していました。

そのため、入学してしばらくは医学部陸上部の方にお世話になっていました。そこでは、大学から陸上競技を始める人も多く、練習以外にも様々なイベントが用意されていました。周囲の部員たちが「走ることそのものの楽しさ」を純粋に感じている一方、高校までの6年間、結果を出せないまま執着し続けてきた私にとって、陸上は単なる娯楽や交流の手段ではなく、未完のまま残された重い課題のような存在になっており、楽しんでいない時間が確かに存在しました。

4年生の中盤からは、この中距離パートに受け入れていただきました。それから今日に至るまでの歩みについては、あえて言葉を尽くす必要はないと感じています。これまでのどの時期と比較しても、最も多様な経験をさせていただいた、密度の濃い期間でした。


ただ、振り返ってみて、100%良かったと言い切れるほど、良い過ごし方ができたとは思っていません。人生のどの瞬間にも後悔は存在するものです。大学陸上では、それ以前の停滞とはまた別の、新たな後悔や申し訳なさが残りました。それは自分自身が年齢を重ね、視野が広がっていったからこそ感じるものでもあります。

まず、学友会を途中から参加したことに関して、この部活では、幹部代を終えると様々な運営上の責任が免除されるという性質があると思います。これすら推測で話しているほど部活の実態が分かりません。私は4年生の途中から合流したため、部活動の維持に必要な実務や責任を背負うことなく、この3年ほどを過ごしてきました。下の学年が組織を支えるために奔走する一方で、自分はその恩恵に預かる形で競技に専念させていただいたと感じています。

法理学の考え方に、クリーンハンズの原則というものがあることを知りました。義務を果たさない者に権利は認められないというものです。私はただ、権利のみを享受し続けてきたように思えます。

そして、忙しさについてです。確かに、春休みが事実上存在しなかったり、夏休みが他学部に比べて短かったり、実習の終わる時間が17時を過ぎたりなどで、練習にどうしても参加できないことがあります。6年の最後まで練習に参加し続けた私でしたが、ありがたいことに医陸・学友会両方のメッセージカードではたくさんの方からの言葉をいただきました。その中に、忙しい中よく練習に参加してくれたといったメッセージが多くありました。その人たちに対して、「そうじゃないんだよな」ということを言いたいわけではありません。問題は、自分の中で、忙しいと思われているのを盾にして怠惰を言い訳にしていた、ことがあると感じているからです。

こうした感覚は、「文武両道」という言葉の受け取られ方とも無関係ではないように思います。高校に進学した頃から、「文武両道」という言葉をよく耳にするようになりました。改めてその定義を確認すると、WIkipediaでは、「現代では勉学と運動の両面に優れた人物に対して用いられる」とされています。しかし、実際にこの言葉が使われる場面は非常に曖昧であると感じています。私の周囲では、高校時代は進学校にいること自体が、そして大学では医学科にいること自体が、「文武両道」の「文」の部分を暗黙的に保証してしまっている側面があります。たとえ「武」の実態がそれほど伴っていなくとも、その属性ゆえに、勝手に立派なこととして持ち上げられてしまう可能性を孕んでいると思います。(これは以前、東京大学陸上運動部ブログでも言及されていました)

私自身、そうした医学科という属性、そして周りからは忙しいと思われるその幻想に隠れて、実態の伴わない自分を誤魔化してきたと思います。確かに、私の1500mのPBである4:02.07は、2025年度時点での部歴代24位であるため、全ての人が再現可能なタイムではないでしょう。ただ、競技力はタイムだけでは語れないことも多くあります。


いつからかは分かりませんが、気づいた頃には、スポーツの本質である「人との勝ち負け」に真剣に向き合うことができなくなっていました。その背景には、競技生活のほとんどにおいてチームの代表として試合に出場する機会が与えられず、出場できたとしても予選で記念出場に終わることが多かったという経験があります。そのため、勝つことの喜びを実感できないまま、負けるくらいであれば結果に向き合わず、自分のタイムだけを見ていればよいと考えるようになりました。これは、自分なりの自己保身の結果であったと思います。

しかし、代表として出場することで得られるプレッシャーや、そこでしか得られないさまざまな経験があることは、想像に難くありません。そうした機会を得られなかったことを惜しむのは、果たして求めすぎなのでしょうか。少なくとも、まだ競技生活が残っている方々はみんなに応援される選手になってほしいと思います。


それでも、数ある運動部の中で陸上競技を選んだことは、人生の選択肢の中でもよい選択だったと振り返ることができそうです。特に大学の後半3年間は、競技力を上げられただけではなく、競技自体への向き合い方、何かが「得意」とか「好き」とは何なのか、才能とか努力という言葉を引き合いに出すことでどういった議論が可能になるのかなど、陸上競技にとどまらず様々な場面で利用できそうな、汎用的な考えを行う機会を与えてくれました。

これまで中学高校と、分かりやすい指標に操られていた私にとって、自分がリソースを割いてまでやりたいこととは何かを考える習慣はありませんでした。大学生活では、努力は夢中に勝てないということを何度も分からされました。自分が何に価値を置き、何のためにその場所を選ぶのか。そうした問いを持つ習慣こそが、この競技生活から得たものです。

一方で、自分がいったい何に対して「得意」や「好き」を抱くのか、その答えは未だに明確ではありません。それは、上に書いたように、周囲が決めた指標にばかり従い、内省する機会を逸してきたからかもしれません。あるいは、これまでの不器用な競技生活が物語るように、自分自身の特性を掴むこと自体に、人一倍時間がかかるタイプなのだとも自覚しています。


不器用な人の生存戦略とはどのようなものでしょうか。私は、過去上手くいかなかったことが多い経験から、これから積み重ねる努力の質の更新そのものだと考えています。多様な選択肢のうちから「何を選ばないか」という選択の判断の鋭さは、回り道を余儀なくされてきた不器用な者だからこそ獲得できるものだと思います。

投資家やラジオパーソナリティとして活躍されている田中渓さんが、YouTubeで以下のようなことをおっしゃっていました。

過去の失敗を、単なるネガティブなこととして消化するのではなく、進むべき方向を指し示すための材料にし、推進力を得ていくことが大切なのかなと思います。そのように進むことで、天才の条件の2つ目に近づけていくことが可能になるのかもしれません。


最後に、陸上っぽい話をして終わります。

人生はよくマラソンに例えられます。しかし実際には、人生の前半での選択や環境がその後に複利のように効いてくるため、ハーフ折り返しで勝負の趨勢が決まっていることも少なくありません。一律に走り続けることだけが正解ではないはずです。大切なのは、抜くべきところでは戦略的に力を抜き、ここぞという好機が回ってきたと感じた瞬間に、すべてのリソースを注ぎ込む。その強度の付け方にこそ本質があると思います。

なので、人生を"陸上競技に例えるとしたら"(ここ重要)インターバル走。インターバルを日常的にやっている中距離選手は最強、ということに便宜上したいと思います。

皆様の大学生活が意味のあるものとなるよう願っています。ありがとうございました!