6/6 水根 自己紹介

お久しぶりです。水根です。

本来なら初めましてと言うべきところですが、お久しぶりです、と言いたい相手がいます。陸上競技です。

僕は中学校で陸上を始めたのですが、高校では一度陸上から離れて、大学に入学し再び戻ってくることを決めました。

今日は、僕が陸上を一度やめて再び戻ってくるまでの話を自己紹介として書きたいと思います。

改めまして、文学部1年の水根健人(みずねけんと)です。

生まれは東京ですが、広島・千葉に住んでいた時期も長く、色んなところを行ったり来たりしています。

最初に陸上に出会ったのは広島に住んでいた中学1年生の頃でした。もともとは中学校で何の部活をやりたいか全く決めておらず、入学当初は運動部がいいかなくらいの気持ちでした。しかし、部活動見学が始まり、どこに行こうかとグラウンドをうろうろと歩き回っていた僕は陸上部と思しき先輩に声をかけられ、まんまと捕まってしまいました。思い返せばあの瞬間が僕の運命を大きく変えてしまったと思います。

「よし、じゃあ君は棒高跳びをやろう。」

強引な先輩に連れられ、僕は入るつもりもなかった陸上部で見たこともなかった棒高跳びをやることになってしまいました。先輩は僕に有無を言わせない勢いだったし、ポールを曲げて空を舞う先輩の姿はちょっとだけかっこよかったので、最初の1年くらいはポールヴォルターとして部活に通う日々でした。(棒高跳び選手をポールヴォルターと呼ぶらしいです。かっこいい!)

しかし、みなさんもご存じかもしれませんが、棒高跳びってめちゃくちゃ怖いんです。少なくとも僕にとってはかなりの恐怖でした。短いポールで、まだほとんど曲がらないうちはいいのですが、ちょっと長いポールでしなるようになると一気に危険な競技に豹変してしまいます。自分の身長を超える高さまで上がって、ポールの反発で押し戻されると死を覚悟します。記録もなかなか伸びなかったし、このまま続けていると寿命がかなり縮む気がしたので、2年生の夏に僕は棒高跳びからの戦略的撤退を選択しました。

そこで種目の転向先に選んだのが中距離でした。もともと持久走は好きだったし、棒高よりは自分にあっていたようで、僕は800をメインに練習を始めることになりました。主な練習場所は、学校の前にあるコンクリート直線150mと学校の外周の狭い歩道という多少過酷な環境ではありましたが、仲間にも恵まれて楽しく走っていました。特に好きだった練習は150mの直線を180°ターンで戻ってくる300m走です。トラックで練習している人にとって、練習中にUターンすることは珍しいかもしれませんが、僕たちはアップからポイント練習までをそこで行うので日常茶飯事でした。この練習場所のメリットは2つあります。ひとつは駅伝の折り返しに強くなることです。中学校時代の駅伝コースは公園内に180°の折り返しがある周回コースだったのですが、日頃からUターンの練習をしている僕たちは、華麗なステップで減速することなく折り返すことができました。2つ目は、タータンに感動できるようになることです。練習といえばコンクリートで、グラウンドの土トラックでの練習も珍しかったので、試合や記録会でタータンを走るとその走りやすさに感動します。さらにスパイクを履けば、反発の強さに涙が止まりませんでした。

そんな素晴らしい環境で練習をしていた僕は、中3の終わり頃には(棒高に比べれば)まあまあのタイムで走れるようになっていました。3年の冬に部活を引退すると、高校受験がやってきて、再び部活を選ぶタイミングがやってきました。陸上にはある程度満足したし、高校では文化系の部活に入ろうかなと、当時の僕は考えていました。これが、非常に甘い考えでした。陸上は一度ロックオンした人間をなかなか離してはくれないのです。

どんな部活に入ろうかと期待を胸に入学した僕を待ち構えていたのは、3年前に僕を陸上に引きずり込んだあの先輩でした。棒高跳びのアイツです。奴は僕の情報を事前に部内で共有しておくという高等テクニックを操り、複数人の先輩を巻き込んだ巧みな話術で、またしても僕を陸上部に投獄することに成功しました。こうして僕は中高ともに、陸上部以外の部活を見学せずに決めてしまうことになったのでした。

しかし、高校にあがって数ヶ月のところで僕の人生は大きな転機を迎えることになりました。我が家に子犬がやってきたのです。子犬というのは大変手がかかる生き物です。ご飯をあげたり、散歩をしたりするのはもちろんですが、小さいうちは何でも噛みたがるので目が離せません。僕が犬を飼いたいと言い始めたのもあって、毎日2回の散歩のうち1回は僕の担当でした。散歩自体は1時間もあればできるのですが、朝担当なら早く起きないと学校に間に合わないし、夕方担当なら部活のあとだと少し遅くなってしまうという問題がありました。そこで僕は、最もフィジカルで、最もプリミティブで、そして最もプラグマティックなやり方を考案しました。部活を辞めてしまうという方法です。

当時の顧問や部活の人たちに、どう説明したかは忘れてしまいましたが、僕が部活を辞めた本当の理由は犬を飼い始めたことです。陸上にそれほど未練はなかったし(その時は)、とにかく犬が可愛かったので高校では陸上から一旦距離を置くことになりました。

その後、新しく部活を立ち上げてみたり、東京に引っ越すことになったり、いろいろイベントはあったのですが、長くなってしまうので、僕がなぜ東北大に行くことになったかだけでも書いておこうと思います。

突然ですが皆さん、パペットスンスンというキャラクターを知っていますか?名前の通りパペットなのですが、テレビやSNSで見たことがあるという人もいるかもしれません。彼のYoutubeチャンネルにはもう一体のパペットであるノンノンとのおしゃべりが多数アップロードされていて、受験期の僕はドハマリしてしまいました。ノンノンの圧倒的な優しさとスンスンの真面目だけれどどこかおかしいシュールな掛け合いが最高なので、まだ見たことがない人はすぐに見てみてください。

さて、このパペットたちが僕の志望校に何の関係があるのかという話ですが、非常に真面目で現実的な理由があります。アニメや漫画において、舞台やキャラクターの設定というものが重要な役割を果たしているのは皆さんご存じかと思います。このパペットスンスンというコンテンツにもしっかりと設定があり、スンスンとノンノンはどちらも6歳で、好きな食べ物はそれぞれパンとアイスで…というように具体的な描写がされています。ここで問題になってくるのは彼らが住んでいる場所です。

彼らは自然豊かなパペットの国「トゥーホック」に住んでいるのです。

もう皆さんおわかりでしょう。パペットスンスンにドハマリした僕の中には「トゥーホック大学」以外の選択肢はありませんでした。世の中にはトゥーホック学院大学やトゥーホック福祉大学、トゥーホック医科薬科大学というのも存在しているらしいのですが、もし彼らの世界に大学があるとすれば「トゥーホック〇〇大学」ではなく単に「トゥーホック大学」だろうという強い確信があったので、他大学は眼中にありませんでした。偏差値やアドミッション・ポリシー、研究設備などは大学を選ぶうえで一切関係がありません。

しかし、東北大学は2050年までに全入試を総合型に移行する方針を発表しています。かくいう僕もAOⅡ期で合格をいただいたのですが、アドミッション・ポリシーを読む限り僕のような志望理由の学生は全く求めていないようでした。そうはいっても、パペットスンスンに対する熱意はこんなところで諦めきれるようなものではありません。

僕は文学部のアドミッション・ポリシーである

「人間性に対する鋭敏な感受性と現実社会に対する透徹した認識とを基盤に,国際社会の発展に積極的に貢献しうる,知性と行動力をもった人を養成することを目指します。」

という記述に注目しました。

①まず、人間性に対する鋭敏な感受性と現実社会に対する透徹した認識ですが、これは2人のパペットのことをそのまま表現しているにほかなりません。ノンノンの相手を思いやる鋭敏な感受性と、スンスンの口からたまに飛び出す現実社会に対する痛烈な指摘は東北大学が求める人物像に完全に一致します。

②そして、爆発的な人気を誇るパペットスンスンは、インターネットを通して国家を超えた交流を促進し、多様な文化への理解を深めているという点で「国際社会の発展に積極的に貢献しうる」と言えるでしょう。

③最後に、「トゥーホックに行きたい」という合理的で非常にシンプルな目標へ向かって努力している僕は、知性と行動力のある人物といって差し支えないと思います。

この3点を軸に志望理由書と面接を乗り切り、見事トゥーホック大学の門戸を叩くことができました。なぜ合格をもらえたのかは未だに不明ですが、受かってしまったのでこっちのものです。

そうして入学を迎え、新たな生活が始まったわけですが、ここでもまた陸上は僕を見逃してはくれませんでした。せっかく大学生になったんだし、なにか新しいことをやってみようかなと考えていましたが、学部のオリエンテーションで学籍番号が隣の人に話しかけると、陸上をやっていると言うではありませんか。一緒に見学に行こうと誘われ、僕は気づくと競技場に立っていました。その前後のことは記憶にありません。またしても僕の知り得ないところで、僕に陸上をやらせようという力が働いているのだと思います。

しかし今回は、よく考えてみると陸上をやらない理由はなかったのです。高校で陸上を辞めたのは犬の散歩があったから。トラックを走る代わりに、犬と近所を歩いていたわけです。でも一人暮らしをしている今は、悲しいことに毎日の散歩もありません。

言うなれば、僕の人生において「犬を飼うこと」と「陸上をやらないこと」は必要十分条件だったのです。

犬を飼っていない今、僕が陸上の世界に戻ってくるのは論理的必然でした。

こんな感じで僕は陸上の世界に戻ってくることができました。長くなってしまいましたが、水根健人という人間について少しでも分かってもらえれば嬉しいです。最後まで読んでいただきありがとうございます。これからよろしくお願いします。

東北大学学友会陸上競技部 中距離パート